僕の日記

更なる皿。(苦笑)

 よく

「そんなに走ったり泳いだり何が楽しいんだ?」

とか

「立派やなぁ。」

とか言われる。間に受けて返答するのも照れくさいので

「ビールをおいしく飲む為やでー」あながち嘘でもないが

とか答えてるがどちらも不正解である。

ビールをうまく飲みたいこともメタボリックな体型を避けたい
ことも目的の一つではあるが、一番大きいのは

「スポーツをよりディープに楽しみたいから」

である。そして、スポーツの醍醐味を味わう瞬間は

「自分の思い通りに体が動かせた時」

である。では、自分の思い通りに動かすのに必要なものは?

「体力、技術、知力」

である。これらはその競技に対し、増えていく欲求を受ける皿である。
この皿が小さければ欲求は受け入れられない。ということは最初の
スポーツをよりディープに楽しめないということである。

走るという単調でしんどい作業を継続するのは普通ではなかなか
味わえない快楽を求めているのであり、快楽に貪欲であるからなので
あり、何も立派といわれることではないのである。

もう少し皿について掘り下げてみよう。

皿は大きくならない。増え続ける快楽の欲求に対応するには快楽を
こぼれないように丁寧に盛って山積みにするぐらいで限度がある。
いわゆる対症療法である。

だから大きい皿の創造に着手するのである。いわゆる原因療法である。
言うのは簡単であるが体力、技術、知力を底上げするのは非常に難しく
並大抵でない勇気と時間と努力が必要である。しかし逆に言うとお金や
名誉は基本的に必要ない。大きい皿=高価な皿ではないのだ。

趣味や仕事の多い人はたくさんの皿をもっているだろうけど
たくさんの皿>少ない皿でもない。自分の好きな物に対する欲求を
満たす大きさの皿でさえあればそれでいいのである。

例えてみよう。

もっともっと野球で気持ちよいヒットが打ちたい、インディアカでどんな
ブロックもものともしないアタックが打ちたい。

そう思い続けて欲求のレベルが増えていくと現況の技術の取り繕いでは
伸び代はなくなる。

そこで大きい皿の作成にかかる。体力については冒頭で書いたように日々
維持に努め続けているのでこの範囲でできる大きさで良い。知力はずっと
思い続けていることで構想は描けている。後は技術である。その体力と
知力で体を思い通りに動かす為に1から構築しなおす。しばらくは完成して
いない大皿に欲求を注いではこぼす作業を繰り返す。周りの目や自身の
挫折感に苛まれる。それでも継続し続け曲がりなりにも完成させた大皿に
たくさんの欲求を満たせた時にはこの上ないディープな達成感が味わえる
のである。まあなかなか満たせませんがね・・・(笑)

いつも体調良くそして時間をうまく使いたい。

ここでの大皿というのは生活習慣の抜本的な変更である。
そして技術と知力はある。後は体力(からだぢから)である。
無理なハードルを掲げて継続できないより少しずつでも着実に
変更するのである。最終的には朝型人間である。
これが達成されたらやってみたいこともたくさんあり
考えるだけでもわくわくする。

そして逆にこの公式のようなものを当てはめたらまだ抽象的な
仕事観も一筋の光明が見えるかもわからないし、一筋の光明は
見えているんだけどまとめ切れていない人生観にも何らかの要約が
できるかもわからないと考えている。

 

うーむ・・・・途中でやめたら書く気なくなると思って一気に書いたけど
相変わらず穴だらけの文章ですな・・・・欲求自体が皿やろうし・・・
もう時間がないので気が向いたらまた推敲します。(苦笑)

syokubutu.JPG

いつもお世話になっている観葉植物君をUPしておきます。
君の葉先をいつも素振りの練習台に使ってごめんなさい。

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