僕の日記

「でも」より「なるほど」。

例えばスマホ。

 

正面から見たら幅は10㎝ぐらい。

でも横から見たら幅は1㎝弱ぐらい。

 

どちらも同じスマホでサイズも間違いではないけど

自分の見方や見たものを唯一とするなら話は噛み合わない。

 

いやいやスマホの見た目で話が噛み合わないとかないでしょ!

 

という声が聞こえてきそうだけどそれはスマホが

形あるものだし簡単に俯瞰(全体像を把握)できる

サイズと形状だから言えるものであってそれが

 

出来事だとか考えだとかだったらどうだろうか。

増してやその出来事や考えが人伝いならどうだろうか。

 

出来事や考えはただでさえ俯瞰することが難しいのに

それはいろいろな人や出来事が繋がっていてそれが

長い時間をかけて積み重なっている。それらを伝える

媒体は無意識に主観が加えられ、それに沿う事実のみが

切り取られ、それが俯瞰した情報として流される。

 

 

 

俯瞰はできないことを前提として考えている。

しかし俯瞰する努力はし続ける。

 

 

俯瞰できたと思うことや俯瞰する努力をしないことは

新しい思考を拒絶すること、そして思考自体を

止めることに繋がると思うからである。

 

 

 

 

 

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