進めば進むほど歩けば歩くほど
自分の不完全さに落ち込む常日頃である。
進めば進むほど歩けば歩くほどより見えてくるので
進み歩くたびに自分の隙を見つけることになる。
理論が正しいのはゴールでなくスタートであり
それをどういろんな人に過不足なく伝えるのか
その前に伝わるよう予測の元準備はできているのか、
そしてそういうことは人の書いた立派な本や感動的な生きざまや美しい言葉に
答えがあるのではなく、答えを見つけるツールである若しくはそれ以前の
正しい理論の段階としての位置付けになるのではないのかと思う。
また進み歩く中で発見した隙は人の物であってもそれを見極め予測した
対応が出来なかった自身に原因を見出さなくてはならないのかとも思う。
まあ進み歩いてその度に自身の隙を見つけて自身で補修し
また進み歩くことを進歩と言うんだろうけど・・・
まあ大きいスパンの中でほんの少しでも
進んどけばよしとしとこうかな。
「進走」でなく「進歩」なんだから。
「進這」でもいいぐらいですな・・・(変)
それはそうと花見しながら酒飲みたいですな。
って一昨日と同じこと言って全く進んでいないよ俺!(恥)