少し前に幅員約30mの計画道路収用の為家具屋さんが立ち退き、写真のような
見晴らしの良い光景が出没した。概ね10年以内に完成する予定らしい。
その頃には写真に撮った場所も様変わりしているのであろう。
その時にまた写真を撮ってここで比較してみたいもんだ。
10年後、私はどうなっているんだろう。ちゃんと毎営業日日記を更新し続けているんだろうか?
やっぱり相変わらず運動したり気の置けない友人たちと飲んでいるのであろうか?
多分生きてはいると思うがハゲてはないだろうか?(苦笑)
文章や写真は年を取らずそのまま残るものであり、これを10年後に見たら現在の私が
10年後の私に一方的に話すだけにはなるが一種の原始的なタイムトラベルともいえる。
アインシュタイン氏の相対性理論を基に理論的には未来へのタイムトラベルは可能であるが
未来から帰ってくることは理論すら確立されていない。(しかし過去へのタイムトラベルへの
いろいろな概念が難しくて面白いんですがね、そしてこの概念の追及が新しい法則の発見へと
繋がっていくんですな)話それてますな・・・・
であれば未来に行って口頭で伝えるか文章で伝えるかの違いでしかなく・・・・・
いや、未来に行って帰ってこれなきゃ未来の私もおらんことになるんか・・・・
一生を体(足から頭へ進む)で例えたら現時点の意識(胃のあたりですな)をCTスキャンで
確認保存するようなイメージですな。そして頭のところに来たら改めて胃と会うってかんじですか・・・
じゃあ頭に到達した時点で胃と会ったところ当時は自分で自分を見ることができなかったが実は
胃癌だったら・・・いや、胃癌なら頭に到達する前に終わってるか・・・・って考えたら面白いですな。
今の私に今は気付けない重大な間違いがあれば10年後この文章を見る私もいないってことなのか・・・・
ってことは・・・・
まあいいや。
これみて苦笑するんだろうな、10年後の俺・・・(苦笑)