2年強ですでに十数回目の修理からわが愛車が帰ってきました(といっても取りにいったんだけど)。
思い起こせば運転席側の鍵が壊れたのを始まりにヘッドライト、ブレーキランプ交換数回、
突然のエンジン停止、雨漏り、落ちたマフラーの取替え、
そしてだんだんエスカレートしてきて最近ではエンジンマウント部の金属疲労?によるエンジンの大暴れ、
そして今回はハンドルギアボックスの老朽化?による直進、左折時の不具合ときました。
今回は応急処置ですが完治させると修理代も二桁にのります。
応急処置といっても左に切らないと直進しないハンドルを元に戻しただけで
左いっぱいに切らないでくれとのことです。
しかし車長が3.4mしかないのに旋回能力だけがセルシオ並のわが愛車にそれを言うのは酷と言うものです。
案の定言いつけを守ったばかりに、取りに行った帰りの左折5回中3回反対車線に飛び出してしまいました。
これでは限りなく10対0に近い事故が起こるのも時間の問題と思われます。
という以前に1995年製の車になぜ金属疲労や老朽化がおこるのか理解に苦しんでいます。
そんなところに今回の代車ワゴンR。すばらしい車でした。
どれくらい素晴らしいかというと、気兼ねなくハンドルを切れる、ミッションが普通に入る、
鍵が滑らかに閉まる、直進できる、雨が漏らない等数え切れないぐらいです。
私の頭には当然「買い替え」の文字が浮かんできました。
しかし、「継続は力なり」を座右の銘のひとつとしている私にとって継続(愛車を乗り続けること)を
断ち切ることには正当理由がない限りかなりの抵抗があります。
皆さん例えば会うたびに職が変わっている人、電話かけるたびに番号が変わっている人、
手紙を送るたびに住所が変わっている人、見るたびに奥さんが変わっている人
(これはあんまりないかな・・・)と、それらがずっと同じ人を比べてみてどう思うでしょうか?
もちろん自分の目的達成の為の前向きな変化や、物理的にどうしようもないことがあるので
一概には言えませんがどうしても前者のほうが信用度という面では低いことは否めないと思います。
しかも継続という種類の力はいくら頑張っても1日や1週間でできるものではありません。
5年、10年と続けて初めて「力」になってき始めます。
「財力」「権力」等いろいろな力がありますが私はこの「継続の力」が一番好きです。
変わって行くのも良いことであれば「成長」を継続しているのではないでしょうか?
話がそれましたが、要は車を買い換えることが頭によぎりましたが、そのわけは修理代、
そして修理に持って行く時間の浪費、そして車に対する信頼度の低さ
(仕事で使ってる為これは結構致命的)です。
これは継続を打ち切る正当事由になりえるのだろうか?
もっともらしく書いているけど本当はワゴンRの便利さだけに心揺らいでいるのではないだろうか、
ってところなんですよね。