10年前、15年前から思うと当時考えていた
10年後、15年後の自分に成れている部分もあるけど
それはそれで10年前、15年前に見えなかったものも
見えてくることもあり、鼬ごっこの様相を呈する。
人の目指す目標は「幸せ」でいられることであり
具体的に項目を挙げると充実感や感動の継続、将来に渡る
安心の保証、大切な人の「幸せ」と言うところだろうか。
細やかに考えてみると「幸せ」と言うものはその状態が
続くことが確実であることが大きな条件の一つになって
いるような気がする。
しかし詰まるところ確実な未来など「死」以外には
ないのであり、それが本能的にわかっているから幸せを
感じ取りにくいのかもしれない。
その考えで行くと生きていること自体がリスキーである。
だから「幸せ」を会得する手段自身が目標となってしまい、
迷走する人も少なくないのではなかろうか。
また考える。
充実感や感動の連続は「気付け続けられること」で
ある程度フォローできるのではないか。他の人が
言っている真意や背景、当たり前に見ている出来事や
自然のシンプル且つ深い摂理。
そして将来に渡る安心の保証は、失うものを最小限に
止めることで、ある程度辿り着けるのではないか。
たくさんあるから維持が必要だし失くすつらさも
持っているものに比例する。
そんなとりとめのないことを考え出すと冒頭に
書いた鼬ごっこも無駄ではないのかもしれない。
鼬との間は少しづつだけど確実に狭まっているのだから。