仕事であれば当然報酬が発生してくるのでそれに見合うべく
どういう形であれ相手に理解・納得してもらえるよう
コミュニケーションをとるのであるが仕事以外では
多少変わってくる。
自分が好きなことをやらせてもらっていたり
自分が社会でスムーズに生活できることに対して
何らかの形で還元しなければならないと考えており、
役をこなしたり手間をかけたりする。
この気持ちは特別なことでなく社会の一員として
置いてもらえるという報酬に対して当たり前の対価である。
現実には当然、仕事や家庭状況の為思うように
社会に還元する行動がとれないこともある。
それはそれでしょうがないことでありできる時に
すればよいことである。
ただ、その気持ちは持ち続けるべきものではないのだろうか。
そうすれば自然と
「ありがとう。」
と感謝の言葉が出てくるだろうしできない時はそれで十分だと思う。
その気持ちがどう見ても見えない人に対して正論をぶつけても
埒はあかない。正論をぶつけてわかってくれる人なら既に
気付いてくれているものであるし万事因果応報、良いことも
そうでないことも自分自身に帰する。
で、冒頭の話になるのだが仕事以外では自然とこの部分に
気付いてもらっている人だけとのコミュニケーションになっている。
社会で生きる人みんなにそういう気付きが生まれたらなんて
非現実的なことを考えながら・・・・
そしてそういう自分自身は?
という自問自答を繰り返しながら・・・