たまに夜遅く自分の日記を読み返す。
そのまま日を遡ったり、1年前の今日とか3年、5年前、10年前のとか。
くすっと笑えるような面白いことを書いているような気がする。
しかし自分の日記を読みながら最近別のことを感じ始めている。
人は孤独である。
人に意見を求める(出口の選択)ための前向きな悩みや
考えを伝えることはあっても
結局は自分で打破し進んでいくものである。
人は顔が違うように立場や環境や育ち方やそれに伴う考えも
誰ひとり全く同じ人はいない。
なので出口のない悩みや考えについて他人に答えを求めても
聞いてくれるだけでありそれは一つ間違えると愚痴や言い訳となる。
でも、孤独ではなかった。
日記の中に過去の私と言うかけがえのない同志がいたのである。
過去の私が自身を叱咤し、慰め、励ましている言葉が今の私に沁みてくる。
当然のことながら苦しいほどわかる自分の言葉の真意。
そんな過去を打破し現在の自分に至っているかすかな安堵。
同じような悩みを堂々巡りしているのかもしれないが
継続しているからこそ味わえる感触。
未来の自分へ紡ぐ思いが現在の自身を励ましてくれる過去の自分を
作り出していること、即ち全ては繋がっていることが少しきちんと
理解でき始めているのかもしれない。
これ以上理解できたら
宇宙のしくみとか語ってしまいそうですな!(呆)