「常識にとらわれない。」
ことは自分らしい柔軟な発想や行動を起こすことに不可欠であるが、
「常識を知らなくてよい。」
ことにはならない。
この大きな社会の中で生きさせてもらっている。
その大きな社会の中での価値観の最大公約数が「常識」なのだと思う。
自分の価値観では信念に沿った画期的な発想・行動であっても
社会や相手に伝わらなければ、つまり常識と言う的を大きく外しているにも
かかわらず補う言葉や動作がない場合、対外的にそうとられない事が多いのである。
結果、信用や正当な評価を失ったりして自身を苦しめる事になる。
常識を数ある正論の最もスタンダードなものと位置づけて解釈・学習しておけば
常識にとらわれず且つ、
社会や相手に思うように自分の価値観を伝えられるのではないだろうか。
そしてそこから常識や相手の価値観を考えてから自分の価値観とすり合わせ
お互いの(社会や相手と自分自身との)最大公約数を導きだそうとする所謂
「思いやり」
が生まれてくるのではないだろうか。
当たり前のことを難しく書いてわかりにくくしてるよ俺!(恥)
すぐ近くの「中西」も新装開店してますな。